命日を前に思うこと(2015,1,8)
明日は、父の命日です。
父は、一体何の心の病を抱えていたのだろうかと、父が自殺未遂をしてから考えて、調べたりしていました。
自殺未遂後にすぐに入院した病院は、急性期の患者専門の病院だったので、父が、その行為に至ってしまった根底にある疾患について、詳しく調べようとはしてくれなかったからです。痴呆もあったので、正確には分からないと、言われた記憶もあります。
入院時に行なった簡単なテストによって、「躁鬱病」との診断が下りていたけれど…その病気について調べても、私には父が躁鬱病であったとは、思えないんです。
病院が積極的でなかった上に、父は3ヶ月に渡る入院生活の終わり頃、肝硬変の末期にあたる症状…肺に水が溜まって、呼吸が苦しくなってきてしまったため、精神科から、急遽内科病棟に移されました。
そこからは、本当に、坂道を転がり落ちるように容態が悪くなってしまったので…
だから、結局、本当の病名は分からずじまい。もう、本人はいないのだから、記憶と照らし合わせて想像することしかできないけれど…。
父は、多分、境界性パーソナリティー障害であったのかな?と思います。
専門的に見てもらったら、違うかもしれないけれど。
そして、調べているうちに気づいたこと…
きっと、私は双極性障害です。
そう考えると、腑に落ちることがたくさんあるからです。
昨年の2月から約7、8ヶ月の間、私は、もの凄い「躁」状態でした。
ソチを見て彼を知って、好きになって…私は急に元気になって、父のことから立ち直ったつもりになっていました。それ以前は鬱状態だったので、救われたと思ったんです。
自分にできないことなんかない。今なら何だってできる。やりたいことがたくさんある!
人生に光が射して、急に目の前が開けたのを感じました。
…でも実際は、精神は興奮する日が続くのに、集中力が全くないので、思うように、やりたいことが実行に移せない。
それどころか、注意力が散漫で、最低限の日常生活をこなすことで、精一杯だったんです。
異常に興奮しているから…全く眠くなかったし、一日に3時間くらいしか寝ていなくても、全く疲れを感じなかったし、食事も喉を通らなかったけど、お腹も空かなかった。金銭感覚も…めちゃめちゃになってました。
当時は恋煩いか⁈ なんて思ったりもしたけれど…そんな可愛いもんじゃなかったことが、その頃、旦那さんに言われた言葉でわかります。
「最近の君を見ていると、君がいつか死んでしまうんじゃないかって、怖くて仕方がないんだよ。そのくらい、今の君は異常だってことに、気づいてくれよ!」
なんて馬鹿なことを言ってるんだろうと思っていました。奥さんが、こんなに夢中になれることを見つけたことに、嫉妬しているだけなんじゃないの?って。
邪魔されたくない! って、怒りさえ感じていました。
でも…今ならわかります。私は躁状態だったんです。きっと、顔つきも違っていたと思います。
秋に入る頃から、少し落ち着いて…そして今は、鬱の入り口にいるのかなと感じます。あんなに毎日毎日チェックしていた、彼のファンの皆のブログを読むことが、近頃は辛いんです。
チェックリストに手が伸びない…。
彼のことを考えることは…もちろん、今も大好きだから考えるけれど、前よりも、凄く遠く感じます。
今年に入ってから…朝は家族の食事の支度があるから、頑張って起きているけれど…全員が仕事や学校へ行ってしまってからは、午前中は、たいていベッドに横になっています。何もする気がおきなくて…。
でも、こうして、ブログだけは書きたいと思って手が動いているのだから、まだ大丈夫ですね、きっと。
父が亡くなったのは、1月9日、午前1時55分。
あと5時間くらいです。
今夜は、その時間までは起きていて、父のことを思いながら眠りにつこうと思います。
最後に会った時…8日の昼間に最後にお見舞いに行った時、父は、帰ろうとする私に、もっといて欲しいと言ったんです。
でも、私は、子どもたちが学校から帰ってくる時間に合わせて帰らなきゃいけないと思っていて
「また、あさってくるから」
と言って、帰ってきてしまった…。
最後になるとわかっていたら、もっと一緒にいてあげたのに…。いや、最後になるとわかっていたら、帰らなかった。
お父さんは、自分の最期をわかっていたのかな…。
明日は、お墓参りに行ってきます。
ピンクのガーベラの花を買って…。