上書きされるもの、されないもの
一昨日、実家の隣に住んでいるママ友から連絡が来た。
いよいよ足場が組まれ始めたよって。
解体するところが見たかったのに、これじゃ見えなくなりそうって、残念がってた。
今回、彼女たち家族が住んでいた家も、我が家と一緒に壊されるわけなんだけど、彼女たちはこの写真のちょうど向かいに両親の土地があって、そこに二世帯住宅を建てて住んでいる。
住んでいた家が目の前でなくなる寂しさはあるんだろうけど、あの街を出てしまった私とは、またちょっと違う心境かなと思う。
もう、本当に帰る家がなくなってしまうんだな。
いや、一年前に手放したのだから、もう、とうに帰れなかったわけなんだけど…
それでも、空き家でも、他の誰かのものでも、あの家があそこにあるというだけで、支えられていたものがあった。
解体
見に行こうかと思っていたけど、やめた。
せっかく良くなってきたんだから、わざわざ傷つきに行くこともないよね。
グーグルアースであのあたりを見てみると、まだ実家がある。これは、いつまでこのままなんだろうか。いつまでも更新されてほしくないと思ってしまう。
今は仕事の忙しさにかこつけて、無理に現実を直視しないように…そうしていつか、長い時間がたったいつか、新しくなった風景を見に行けたらいいと思う。
それまでは、スマホの中のあの風景が変わることがないといいな。
いつの日か
長い時間の記憶は消えて
優しさを
僕らはただ抱きしめるのかと
(小沢健二 さよならなんて云えないよ)
長い時間の中で
上書きされていかない風景なんてない
私は未来のために自分で決めたことに自信を持って
上書きされることない記憶の中の風景を抱きしめながら
ただ、今を生きるのみ