これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

しっかりしなさい(2014,10,14)

母がいなかったことで辛かったことは、あまりありません

 

いないことが当たり前で、むしろ、家に母親がいたということを思い出せないほどでしたから

でも、いくつか辛い…というか、嫌だなと思うことはありましたよ

 

ひとつは、遠足のお弁当

うちには祖母がいたので、普段の食事は祖母が作ってくれていました

 

この、祖母という人は、信じられないくらい料理ができない人で(笑)
今思うと笑ってしまうようなものを食べて私は育ったんです
いつか、祖母の料理については、一本記事を書きたいと思っています


そんな祖母が、遠足のお弁当も、作ってくれたんですけど……煮物とかの「弁当箱開けたらまっ茶色!」って感じのおかずが嫌で嫌で
3年生くらいからは、自分でお弁当を作ってました

 

出来上がってるハンバーグや、ミートボールなんかを、詰めるだけでしたけどね
一応、レタスをひいてみたりして

でも、綺麗に詰めたつもりでも、隙間だらけだったから、お昼に食べるまでの間に、リュックサックの中で片寄ってしまって……蓋を開けたらぐっちゃぐちゃ、なんてことばかりでした


友達のお弁当が羨ましくてね


綺麗に型抜きされた野菜や、タコのウィンナー、茶色くない卵焼き…全部が私にはないものだったから、羨ましくて、恥ずかしくて…


蓋でお弁当を隠して食べてました

 

 


あと嫌だったことは…


よく大人に「あなたの家には母親がいないんだから、あなたがしっかりしないとね」って言われたことかな…

 


今でもはっきり覚えていることがあります

あれは、やっぱり小学校3年生くらいの頃

 

当時、夏休みとか、学校が長い休みに入ると、私は親戚の家に預けられていました

JRの御茶ノ水駅でバスに乗り換えて行くんですけど、父は御茶ノ水の駅周辺で、親戚の家に渡す手土産を探し歩いて、私も後をついてウロウロしていました


私はもう、母の手作りのワンピースは着ていなかったけれど、白いプリーツスカートのワンピースを買ってもらったのが嬉しくて、その日も着ていました

ショーウィンドウに映る、自分の姿をウキウキとチラチラ見ながら…


親戚の家に着くと、父は間もなく帰りました
で、そこの家の叔母に「持ってきた荷物を見せてごらん」って言われて、私は鞄を叔母に渡しました


なんせ長い夏休み、私は自分の大事なものをたくさん鞄に詰め込んでいました
ひとりでいても、寂しくないように、家にいるように、ひとりで楽しく遊べるように

 


叔母は、私の荷物が異常に少ないのにびっくりして、私に鞄を見せるように言ったんですね

どうして少なかったか


私は一着も着替えを持って行ってなかったんです!


これには叔母もあきれたらしく
私は随分と叔母の話を聞かされました


「あなたの家には、母親がいないんだよ。お父さんじゃ気がつかないことが沢山あるんだから、○○(私の名)ちゃんがしっかり自分のことをやらなきゃダメだよ」

 

そう言って叔母は、自分のシュミーズを持ってきて、肩紐を短く短く調節して、私にワンピースを脱ぐように言いました

「このワンピースだって、白いからパンツが透けて丸見えだったよ!恥ずかしい」

 


恥ずかしかったのか…

私は、2度とそのワンピースを着ることはありませんでした

 


しっかりしなさいと言われても、まだ9歳くらいの私には、どうしたらいいかもわからず

しっかりしなさい、と言われ続けた挙句


いろんなことが、心配で心配で眠れなくなったりしたものでした


ある夜は、「もし、今おばあちゃんが死んじゃったら、私がご飯を作らなきゃいけなくなる。味噌汁は、どうやって作ったらいいのかな」って考え始めて

明日の夕飯のメニューを考えて、次の日は何にしようかと考えて、さらに作り方を考えて…不安で不安で眠れなくなったことがありました

 

 

「しっかりしなさい」

 


その言葉は私の心に深く沈み込んで
その後の人生でも、私の性格に大きな影響を与えたなと思っています


私がなんとかしなければ
私がしっかりしなければ

 

父とのことでも、私はそんな風に頑張っていました

 

 

次からは父のことを書き始めますね

 

 

 

今日はここまで