これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

父を棄てたこと、その言い訳(2015,1,7)

 私は、父を棄てたんじゃない。

 


たくさんの理由が重なって、私たち家族と父は、10年に渡った同居を、約3年前に解消しました。

 

 


たくさんの理由…

ひとつ目の理由は、私の旦那さんが長男だったこと。


結婚当初から、旦那さんの実家から、いずれは帰ってくるように…遅くとも私たちの長男が中学生になる頃までにはと、言われていました。


その前に、義父母のどちらかに万が一のことがあったら、すぐにでも帰ること、とも言われていて…


08年の夏、お義母さんに肺ガンが見つかって、3年生存率が10%以下と言われた時に一度「帰ってこれないか?」と言われたことがあったのですが…


その時、私はちょうど三男を妊娠中でつわりがひどく、入退院を繰り返していて…出産まで体調が思わしくないままだったんです。


それに加えて、お義母さんのガンの進行のスピードがもの凄く早く、とにかく引っ越しより何より、お義母さんのガンを食い止める治療法を探して、試して…ということに追われる日々になってしまって、タイミングを逃してしまったんです。


結局、お義母さんは10年の夏、闘病2年で亡くなりました。


その時、長男は小学5年生。
すぐに帰るという話もありましたが、長男には当時の小学校を、友達と一緒に卒業させてあげたかったんです。
そして、「長男が中学入学のタイミングで帰る」という話が、初めて現実味を帯びてきました。


それでも、「子どもたちのために帰らない」という選択肢もあるかと思いますよね? 長男は中学入学のタイミングだとしても、次男は小学校の途中で転校しなくてはいけなくなってしまうので。


でも、私たちが東京に残れる確率は、ほとんどありませんでした。

 

 

 

ふたつ目の理由は、お義父さんがうつ病になってしまったこと。


お義母さんが亡くなって、生活の全てをお義母さんに任せ切りだったお義父さんは、うつ病のようになりました。


毎日毎日電話をして、子どもたちと話をしてもらったり、毎週末、家族で帰省したりして、お義父さんが、寂しくならないように気を配っていたのですが…お義父さんは、毎日電話で泣き、毎週末私たちの帰り際に、泣きました。


食も細くなって、みるみる痩せてしまって…


自営業の仕事は、なんとかこなしていたのですが、仕事と、家事の両方を一人でやるには、お義父さんは年をとりすぎていました。


家事をやる人が、絶対に必要でした。

 

 

 

三つ目の理由は、東京の私の実家が狭かったこと。

 

私たち夫婦は、3人の男の子に恵まれました。


小さいうちは良かったのですが…3人が大きくなる頃を想像すると…3人分の机と布団を並べられるスペースは、ありませんでした。


子ども達が大きくなったら、食卓さえ一緒に囲めなくなるほどの狭さ…。


建て替える、という選択は…田舎の家を放っておいて、そんな選択はできませんでした。


帰ることを期待されている長男が、奥さんの実家を建て替えるなんて…。


しかも、田舎の家は、東日本大震災の影響で、内壁が剥がれ落ちたり、風呂場のタイルが割れたり、窓が閉まりにくくなっていたので、建て替えるとするなら、絶対に田舎の家の方でした。

 

 

 

そして、最後の理由…。


それは、父から逃げたかったから。


父は、私が子どもの頃から、ちょっとしたことで急に人格が変わったように逆上して、暴言を吐く人でした。


その、あまりの変わりようが、子どもの私にはとても怖くて…私は、いつも父のご機嫌を伺うような子どもでした。


すごく気をつけていたのに、うっかり怒らせてしまうと…父は、平気で私を傷つけ、その後、一週間ほど父の機嫌は戻らず…当たり散らす父の機嫌が直ることを、ただじっと耐えて待つしかありませんでした。


例えば、小学生だった私が、朝礼の時に貧血で倒れてしまったと、家に帰ってから報告すると…「なんで人前で倒れたりするんだ!! まるで、俺がお前にろくに食べさせていないみたいじゃないか!! いいか!もう2度と倒れるな!わかったか! 」と怒鳴られ…その日の夜から、大量の(10錠くらい)栄養剤を飲まされました。


父が心配しているのは、私の体よりも、世間体…。


「お前みたいな奴は、俺の子じゃない!」って何度言われたことか…。
そのくらいの話は、星の数ほどあります。


暴力を振るわれることこそありませんでしたが…いや、私には直接手を出すことはありませんでしたが…よくよく思い出してみると、母が、父と喧嘩して、おでこから血を流してたことがありましたね。


それから…父が祖父と喧嘩してひどく暴れた夜があったんですけど…私はその夜、祖母に言われて、家中の刃物を隠しました。


だから…子どもには暴言だけでしたけど、きっと、母や祖父母相手には、暴力もふるっていたのかもしれません。


あ、暴言だけじゃなかったわ。
私が中学、高校生になって、なかなか父と会話をしなくなると…「お前の秘密主義が俺には許せない!!」と言って、部屋をメチャクチャに荒らされたこともあったっけ。


そんな父だから、自分のことを話さなくなったというのにね。


そんな父でしたが…母が亡くなって、祖父母が亡くなって…私たち子どもも大人になって嫁ぐ頃には、随分と穏やかになっていました。


ま、父も老いてきていたし、私たち子どもも、相当父の扱いには慣れていたので…父が怒ること自体が少なくなってきていたんですね。


姉が先に嫁いで…


私が嫁ぐことになった時、家に父が一人になってしまうので、父に食事を運べるように、私たち夫婦は、私の実家近くにマンションを借りて住むことにしました。


その時代が、一番平和だったと思います。


適度に距離が離れていて
父も、孫に会いたい時だけ会える。


その頃は、父も体調が良かったんでしょうね。近所の仲間も、まだ皆存命だったので、仲間同士で自転車に乗ってあちこち遊びに行って…ひとりの時間を楽しんでいるようでした。


フリーで仕事をしていた私は、たまに会社に仕事をしに行く際、長男を父に預けました。でも、父が怒ってしまうようなことはありませんでした。


だから…長男が幼稚園に入学する1年前の03年の春、父に「一緒に住まないか?」と言われた私は、「それもいいかな」と思ったんです。家賃が浮くというのが、とても魅力的でしたし、食事を運ぶ手間もなくなるし、自分が出た幼稚園、小学校に入れられるし…


こんな穏やかな父だったら、一緒に暮らせる…。


ただ、いつかは旦那さんの実家に帰らなきゃいけないという約束があったので、「最長10年」という話でお互いに納得して、03年の夏には実家をリフォーム。その年の秋の始めに、引っ越して同居が始まりました。


同居が始まって…


残念ながら…穏やかな父は、徐々に変わっていきました。


自分のペースを乱されることや、考えと違うこと、プライドが保てなくなるようなこと、世間体が悪くなるようなことには、例え子ども相手でも、容赦無く口撃してきました。


トイレトレーニング中で、うっかり漏らしてしまった次男に対して「おまえなんか、猿以下だ!!」と怒鳴ってみたり。


私が長男を叱っていると、その内容が気に食わなかったのかすぐに参加してきて、「お前達は最悪の親子だな!今すぐ俺の家から出て行け!!」って、何故かふたりまとめて怒鳴られたり。


気に入らないと、子どもたちのことを徹底的に口撃する…側で見ていて、たまらなく辛くて、私は何度も泣いて抗議しました。


でも、父は人の意見を聞き入れる人ではないので…何度やめてほしいと頼んでも、同じように口撃して…どうしてわかってもらえないのか?と聞いても…私がやめてほしいと言ったことさえ忘れていました。


忘れてしまっていたことに対して、「忘れたっていいじゃないか!人間は忘れることができるから生きていけるんじゃないか!!」と開き直る父…。


きっと、本当にその都度逆上した自分のことは忘れていたのだと思います。そして、酷いことを言われた私や子どもたちの心の中には、忘れられない傷が残っていることも、想像すらできない(自分がしたことは、なかったことになっているのだから、当たり前です)…もう、その言葉を聞いた時は絶望しました。多少でも、申し訳ないという気持ちがあると思っていたから…。


「お前達の気持ち?そんなもん、知るか」


親が子を叱りすぎてしまう時、つい言葉が過ぎてしまった時って、よくある話だと思うけれど…親は自分の言動を激しく後悔するもの。そこには愛があるから。


でも…父には愛がなかったんだ。


一歳を過ぎて自我が芽生えてきて、よく泣いていた三男のことを、父が「キチガイ」呼ばわりをし始めた時、我慢は限界に達しました。


早く早く、この家から出たい。
もう父から離れなければ、私たちの関係も、子どもたちの心も、取り返しのつかないことになってしまう!


当時はまだ、父の持病はコントロールできていて、ひとりで生活することに、何の問題もありませんでした。


だから…


ちょうど約束の10年になっていたし(その約束も、父は忘れていましたが)、子どもたちの転校による精神的な負担を考えると、やはり、長男が中学入学、次男が2年生になるあの時期が最後のタイミングだし、田舎も人手が足りないから…


父にはそう説明して、納得してもらって…


12年3月30日、私たち家族は東京を離れました。

 

 

きっと、父は納得なんてしていなかったんでしょうね。


どれだけの言い訳を並べても、私は、父を捨てたことに変わりはないのかもしれません。父が、捨てられたと思っていたのだから…それが全てです。

 

 


私は、父を棄てたんです。