これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

「花の匂い」に泣いた夜(2014,10,28)

ちょっと脱線してましたが

ようやく、父のことを書きますね

 

 

今年の1月のある夜
最寄りの大型スーパーからの帰り道、車の中で聞いていたCDから流れた歌に、私は釘付けになりました

 

その歌は


Mr.Children「花の匂い」

 

「本当のさよならをしても
あなたの呼吸が私には聞こえてる
違う姿で 同じ微笑みであなたは
きっとまた会いに来てくれる」

 

 

HANABIが聞きたくてアルバムを買って
ずっと車で聴いていたのに
一体何を聴いていたんだろう

 

この曲を聴いて…
人生で、あんなに泣いたのは初めてというくらい、車の中でわーわー声を上げて泣きました

わー、わーって…


ちょうどその一週間程前に
父の葬儀を終えたばかりだった私は
ずっと、ずっと張り詰めていた気持ちが切れることも、緩むこともなかったんです

なんせ、新居を建てている真っ最中に、建設中の新居に事情で入らなくてはならなくなって…
葬儀を終えて自宅に戻っても
家の中はまだ半分工事現場で
大工さんたちのお世話やら、留守にしていた分滞っていた、家の仕上げの話し合いやらで、落ち着くことができなかったんです


そんな中、スーパーからの帰り道で「花の匂い」を聴いて…
ブチッと張り詰めていたものが切れたのを感じました

 

そんな風に泣いた話をすると
父の生前、私と父の関係がうまくいっていて
父の死が、私たちにとって辛く、悲しいものだけであったようですが…


実際は、違います


でも何故かその時は、父の葬儀を無事にやりとげることができた達成感からか
父が亡くなってしまったという圧倒的な事実、喪失感から過去のいろいろが思い出せなくなってしまっていたからか


本当に悲しくて悲しくて泣きました

 


父の葬儀は1月の中旬に
地元のお寺でやりました


地元の人たちの葬儀は、大体そのお寺でやることが多かったので、どうしても、そこでやりたかった…という場所です

 

そのお寺は幼稚園も経営していて、私も、私の子ども達も、その幼稚園の卒園生でもあります
そのくらい、私たちの生活に入りこんでいる場所だったんです

 

父の葬儀…できるかどうか、やっていいものかどうか、随分悩みました


近所の人にも
「へー、葬式やるの?やるんだぁ」
なんて言われて…辛かった

 

でも、父は何も悪いことなんかしていないし…多少はご近所の皆さんにご迷惑や、ご心配をおかけしたかもしれないけど…

だから、葬儀は普通にして、地元の皆さんに見送ってあげてほしかったんです

それが娘としてやってあげられる、最後の務めだと思ったから

 


立派な式でした

久しぶりに親族が集まって、みんなの近況を知ることができて良かった

父は長男で、うちは本家だったので、祖父母も一緒に住んでいました
だから、私たちが子どもの頃は、うちは親族が集まる賑やかな家だったんです

そんな、賑やかな昔に戻ったような、2日間でした


みんなには、父が晩年どんな様子であったかは、話しませんでした
知らなくていいこともありますからね
いいイメージのまま、記憶に残しておいてほしかったので


喪主は姉でしたが、親族代表の挨拶は、私がやりました

以下、自分の記録のためにも、全文を載せます

 

 

私は次女の○○でございます。親族を代表しまして、ひと言、ご挨拶を申し上げます。

皆様には、大変ご多忙中にもかかわらず、また、寒い中を、亡き父・○○の葬儀にご会葬頂きまして、誠にありがとうございます。皆様にお見送り頂き、父も喜んでおることと思います。

生前父は、この町が大好きで、ここで暮らすことにとてもこだわっていました。古くからの友人や町内の方々に囲まれて、趣味のカラオケを楽しんだり、旅行やお祭りに参加したりと、アルバムを見返してみると、皆様に囲まれた、楽しそうな父の笑顔がたくさんありました。
若い頃から持病があり、闘病が長く続いていたり、早くに妻に先立たれたりと苦労していた一方で、とても充実した、幸せな日々であったと思います。

晩年も、嫁いだ娘の所よりも、この町で生活したいと言う父の希望を叶えるため、私たち娘は、全力で父の生活を支えてまいりました。
しかし、昨年夏頃、持病の肝炎が進行して意識障害が出るようになり入院。その後は坂道を転がり落ちるように容態が悪くなり、去る1月9日、午前1時55分、肝硬変による消化管出血のため永眠いたしました。80歳の誕生日を迎えたばかりでした。
長年心臓を患っていた父でしたが、心臓の治療のためにした手術で肝炎に感染し、命を落としてしまいました。心臓は最期までしっかりと動いていたことを考えると、残念でなりません。
最期は、家族に見守られる中、静かに息を引き取りました。苦しむこともなく、安らかな最期でした。

入院中も、家に帰ったら仲間とカラオケに行きたいと、CDプレーヤーを病室に持ち込んで、一生懸命新曲を覚えていました。
そんな父に代わりまして、父の生前に賜りました、皆様のご厚誼に、心よりお礼申し上げます。
本日は、ありがとうございました。

 


私の次男が最後のお別れの時に
棺の中の父のおでこにキスをしたんです
あの光景には、次男の気持ちにも、泣きました

 

子どもたちにも、本当のことは、これからも話すつもりはありません


本当のこと…
何故、近所の人に「葬式やるの?」なんて言われたか

 

 

それは、父が自宅で自殺を図ったからです

その時は、かなり騒ぎになって、ご近所にも迷惑をおかけしてしまいました


晩年の父は…これは自殺未遂後に気づいたことなんですが、精神を病んでいました

いえ、多分、父は、ずっとずっと昔から、精神を病んでいたのだと思います

私が、子どもの頃から…
いえ、もっと前からかもしれないけれど…

 

 

 

そんな話を、これからボチボチしていきますね