これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

濁流(2015,1,13)

 

私は、愛されなかった。


愛してほしかったのに、愛されなかった。


それだけなら、恨んで、憎んで、すっぱりと


縁を切って忘れてしまって


自分の人生の再スタートを切れた…。


なのに、父は、ひとりでいることの全てが私のせいだと言って、死のうとした。


一生忘れられない、父の言葉…


「おまえが悪いんだ。だから俺はやってやったんだ!」


私のせいで…。


私は、どんな理由があるにせよ


ひとりの人間を死へと追い詰めた。


その罪の重さに、おかしくなりそうだった。


本当に私のせいなのか? と


反発したくても、父は病気だという。


病気なら仕方が無い。


愛されなかったことも


傷つけられたことも


自殺未遂されたことも


それによって、故郷を奪われたことも


胸におさめておくしかない…。


怒りも、憎しみも


どこへもぶつけることができないとしても


仕方が無い…。


そんな風に、必死で耐えていた。

 

 

 

でも、やがて芽生えてきた、もう一つの思い…


「父も、可哀想な人だった」


もしも


もしも


父の病気が良くなって


心を通わせることができたなら…


そんな親子になることができたなら…


許せるかもしれない。


そうなれたら、どんなにいいか…


頑張って頭を切り替えて


そんな、ちょっとの希望を持って


新しい病院を探して、転院の準備もして


向かい合う決意をした。


そして


最終的には今の私の自宅に引き取って


最期の日まで一緒に暮らせたら…


でも、そんな矢先に


父はあっけなく死んでしまった。


最期まで、まともな話をすることは、できなかった。


残された私はひとり


ポジティブとネガティブの両極を


激しく行ったり来たりしながら


どうしようもない、この、堂々巡りの思いを


あれから1年たった今日も、こうして記しています。

 

 

父のことはもう書かないと言ったけど…


細かく思い出して整理はできないけど


吐き出してしまいたいものはある。


本当に私が悪かったのか


父が悪かったのか


誰も悪くなかったのか


私のこの心の底を流れる濁流を


どこに流せばいいのか…

 

 


いつまでも、こんな私でごめんなさい。


読んでくれて、ありがとう。

 

 

家でひとりになる、平日の昼間は嫌です。