これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

母の記憶(2014,10,9)

父の話をする前に、母の話からしようかなと思います

 

母は、私が12歳になったばかりの秋に、43歳で亡くなりました

43歳……ちょうど、今の私の年齢です

 

亡くなる4年前に脳溢血で突然倒れて、亡くなるまで、一時的に半年くらい家で過ごせた時もあったけれど、ずっと入院生活をしていました

43歳の4年前だから、39歳の時からずっと、家族と離れ離れで、病院にいたことになります


母が最初に倒れた時、私は8歳になったばかりでした

 

最初、家族は私に母親が倒れたことを隠したんですよね。でも、隠し通せるはずもなく、すぐに倒れたって知ったんですけど

ショックで、寂しくて、布団に入るとひとりで泣いてました

布団を頭まで被って、誰にも知られないように泣きました。家族に心配をかけないように

 

大人しくて、人見知りで、幼稚園の時は同じクラスの男の子にイジメられて泣いてばかり……そんな子供だった私は、いつも、母のエプロンに顔を埋めていた記憶があります

母の、いつもちょっと湿ったエプロンの感触…


私は2ヶ月も早く未熟児で産まれて、子供の頃は身体も弱かったので、母も、私のことはいつまでたっても心配だったんでしょうね。赤ちゃん扱いされていたなと、今振り返ると、そう思います

 

母に怒られた記憶はないです

 

私が何かお手伝いをすると、いつも笑って「サンキュー」と言ってましたね。口癖だったんでしょうね

 

とても裁縫の上手な人で、姉と私のお出掛け着は、いつもお揃いで作ってくれました

母の作ってくれたワンピース、大好きだったんです。マンガのキャンディキャンディのキャンディが、アードレー家の養女になってから着ていたような、胸元がヒラヒラした、パフスリーブのワンピース。ウエストのリボンを後ろで蝶結びにして

まるで、どこかのお嬢様になったような気分になったものです

レース編みも好きで、ステレオや、オルガンのカバーは、全て母の手作りでした


私はその裁縫の才能、全く受け継がなかったわ(笑)まあ、8歳から一緒に暮らしていなかったのだから、仕方ないですよね

 

母から受け継いだもの、教わったことは、何もありません

 

いや、受け継いだものはありますね


この命

 

 

あ、それから、母はアイススケートが好きで、マイスケート靴を持ってました

そこには、不思議なつながりを感じずにはいられません

 


とにかく、母は8歳から家にいなかったので、最初こそ寂しかったけれど、いつのまにかそんな生活にも慣れていって…


家で書いた絵を、せっせと病室の母に見せていたのも最初の頃だけ

母の入院から、1年ほどたった頃、母は遠くの病院に転院してしまい、いつの間にか私の中の母の存在は、「日曜日にお見舞いに行く、病院にいる人」になってしまっていました

 


病院、遠かったな、とか

病院までの道のりにある、赤いライトのついた非常口のあるビルが、なんか怖かったな、とか

お昼に病院で食べるパンを、パン屋さんで選ぶのが楽しみだったな、とか

帰りに、チョコレートパフェを食べたことあったな、とか

病院の消毒の匂いとか…

 

思い出すのはそんなことばかりで、病院で会った母と、どんな話をしたかとか、その時の母の顔とか、全く憶えてないんです


母はね、週に一度、娘たちに会えるのを楽しみにしていたと思います

今の私ならわかります

私たちと離れての闘病生活が、どれだけ寂しかったか
週に一度、会えるのを、どれだけ楽しみにしていてくれたか


でも、あの頃はわかってませんでしたね


病院に行っても、病室よりも食堂が好きで、いつもそこでテレビばかり見てました


その後、順調に回復していた母が、病院で倒れて、意識が朦朧となったことがあって…その時、母はうわ言のように言ったんです

「◯◯(私の名)は、まだ赤ちゃんだから、私が一緒に寝てあげないといけないの。だから、ダブルベッドを買ってちょうだい。そうしたら、家に帰れる…」


そんな言葉さえ私は、「また赤ちゃん扱いしてる!」って、思って聞いていました

 


母が亡くなったのは、私が小学校6年生のとき

ある日、子ども会対抗のドッヂボール大会を学校の校庭でやっていた時に、高校生になっていた姉に、大声で呼び止められたんです

「お母さんが危篤だって!早く早く!帰るよ!」


副キャプテンだった私は、試合を放り出すのが嫌でした

だって……危篤って何?
何、ドラマみたいなこと言ってんの?
ママ、死んじゃうってこと?


まさか

まさか

 

帰らず試合に出ようとした私は、近所の八百屋のおばさんに腕をつかまれて、バイクの後ろに乗せられて、家に帰りました


何、このドラマみたいな展開…


嫌だ

嫌だ


病院へ駆けつけるまでの間、私はずっとそんなことを考えてました

 

 

 


まだまだ長くなりそうなので


今日はここまで