これまでと、これからと

私の今までと、これからの記録。主に父への片道の手紙です。

my hometown(2015,6,5)


昨日の朝、空を見上げたら、まるで波打ち際のような雲が広がっていました。


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慌ててスマホで撮影。
雲はすぐに形を変えてしまいますからね。


とても良い天気で…時間もあったので、思い立って2ヶ月ぶりに東京の実家へ行きました。


お彼岸の時に、家族で仏壇にお線香をあげに行って以来2ヶ月、1度も行ってなかったんです。


以前は、週に1度は仕事が遅い時に旦那さんが東京の実家に泊まってくれて、郵便物の整理なんかをしてくれていたんですけど…今年に入ってからは、どんなに仕事で遅くなっても、無理してでも家に帰ってくるようになって。


その理由は全部私なんですけどね。


父が亡くなったことをきっかけにして、私はたくさんのことを考えて、気づきがありました。旦那さんとの関係も、結婚以来…いえ、知り合ってからずっと心に溜めてきたものが決壊したことでいろいろあって…また後日書こうと思いますが、今は関係修復の途中で、とても微妙な時期なんですね。


そんなわけで旦那さんは、不安なのでしょうね、すっかり私から離れたがらなくなってしまって…終電までに電車に乗れさえすれば、必ず家に帰ってきます。


この春から私が学校に通い始めたことで、なかなか丸一日を東京に行く日に当てることができなくなったのも、間が空いた理由です。


そんなこんなで


2ヶ月も実家を放置するなんて今までなかったこと。


郵便受けがチラシで溢れかえってないだろうか。


虫やらネズミやらが我が物顔で走り回っていないだろうか。


最悪、変な奴が住み着いてたらどうしよう


変な奴が住み着いてたら…って、大げさかもしれないけど…実際、日本と韓国にそれぞれ自宅がある韓国人の友達が、2ヶ月ぶりに韓国に戻ったとき、自宅が悪い奴らのアジトにされていたという話を聞いたことがあって。


まぁ、うちの自宅は東京の下町なので、家も密集してて、隣近所の付き合いも密なので、異変があればすぐわかるだろうから、アジトになることはないだろうけど…


やっぱり、近所に管理されていない空き家があるって心配ですよね。漏電とか、放火とか。


だから、明らかにしばらく人が立ち寄っていない空き家だと思われないように、たまったチラシや郵便物だけはこまめに片付けに行かなきゃいけないんですよねぇ。

 

 

そして、やっと昨日。


鍵を開けてドアを開けると、2カ月間動きがなかった、ひんやりと重苦しい空気に押し返されるような気がしました。


なんか、家が怒ってる?
父が寂しさからヘソを曲げて、ふて寝をして部屋から出てこなかった日の、あの空気に似ていて…ビビりながら、誰もいないけれど「ただいま」と声に出して言ってみた。


電気をつけて、まず最初にすることは、仏壇にお線香をあげること。


そのお線香は、「花は咲く」のお線香。震災支援プロジェクトのひとつとしてYUZUがその曲をバックに滑ったのは、テレビで見た方もいると思いますが…このお線香もプロジェクトのひとつで、売り上げの一部が被災地へ義援金として送られることを聞き、購入しました。

 

とってもいい香りなんで気にいってるんですけど…なかなか行けないので、お線香も1年も経ってるのに全然減らないの


手を合わせて


そしてあらためて、祖父母と父と母…四つ並んだ遺影に「ただいま」


父の遺影は、私の姉の長男がお宮参りの時に写真館で撮ったもので…なんとも優しい表情で笑っているんですよ。


その笑顔を見ていると…父と私たちの間にあった出来事が、この家で起こった出来事が、なんだか嘘みたいに思えるほど。


「よく来たな」なんて優しい言葉を言ってるとこなんて、言ってもらった経験がないから想像すらできないけど…長い時間放置されてふてくされながらも、喜んでいるような、そんな顔に見えました。


そして、家中の窓を開けて、空気の入れ替え。


お線香の火が燃えている間、簡単に掃除機をかけました。


一応全部の部屋に掃除機をかけたいんですけど… 1つの部屋だけどうしても入れない部屋があります。


それは父の部屋です。


一緒に住んでいた頃、父が寝起きして、趣味のジグソーパズルや、音楽を聴いたりしていた部屋。


そして父が自殺を図った部屋。


あれから1年10カ月がたつのに…家族がいる時は平気なんですけど、1人の時はその部屋には入ることができません。思い出してしまって怖いんです。


以前、スピリチュアルのカウンセラーさんから「お父さんはまだご自宅にいらっしゃいますよ」と聞いたことがあったんですけど…その時、カウンセラーさんは、父を成仏させてくれましたが…なんだか私には、まだ父があの部屋にいる気がして仕方がないんです。


だから、父の部屋の掃除は、今度家族が一緒の時にやることにして…昨日は部屋に入りませんでした。

 

 

父がどうしても離れたがらなかった家。


絶対に手放したくないと言っていた家。


いつまで空き家のままで、たまに私が空気を入れ替えに行くんだろうか。


もうこの世にいない人の思いのために…


父が自殺未遂をして亡くなった頃は、私たちは町内で噂になっていて…どの人に会って話をしても、ただ憐れんでいるだけじゃない空気を感じて、「もうこの街にはいられないかもしれない」と思っていました。


急によそよそしくなった人もいたり。


でもそれも、町内から外に噂が流れることはなく…一番心配していた、子どもたちの同級生には知られることがなかったので、胸を撫で下ろしました。


子どもたちの故郷がなくならなくてよかった…


子供たちにも東京の友達がたくさんいたから…たまに子供たちを連れて泊まりがけで帰って、友達と遊ぶ…そんな場所を残しておける!って喜んでいたんですけどね。


子供たちが大きくなるのは早いです。


長男は、もう東京の友達とはほとんど連絡を取っていないようで…次男も、東京の友達に久しぶりに会いたいかと聞いても、もうそうでもないようで…三男は、東京でのことはかすかにしか覚えていない。


そうやって誰も行かなくなったら…あの家を空き家のまま、近所に物騒な思いをさせながら残しておく理由がないんですね。


仮に長男が結婚して住むとしても、まだ10年以上先の話です。


済むかどうかもわからない家を、10年以上も空き家のままになんかしておけません。他人に貸せるほど綺麗ではないし。


だから…


私の気持ちさえ決まったら、いつかは売ることになるのでしょう。


私の気持ち…いつかは決めないといけませんね。


今は、全く使っていない実家の固定電話を解約することすらできないんですよ。生まれた時からずっと慣れ親しんできた電話番号すら手放すことができない私に、あの家を手放すことを決断できる日が来るのかどうか…


そうやって考えると、「もうこの世にいない人の思い」だけとか言いましたが、それだけじゃないですね。


今では、あの家から離れたくない、手放したくないと一番思っているのは、私なんだから。


まだあの街に帰る家がなくなることが想像つかない…いや、できることなら、晩年を東京で過ごしたいなんて、まだどっかで考えているのだから…売らなければならないとしても、決断にはかなりの時間が必要です。


楽しいこと嬉しいことよりも、悲しいこと辛いことのほうが多かった、あの家だけど…それでも掛け替えのない私の故郷ですからね。

 

 

 

昨日は、ほんとに久しぶりに私の友達に会ってランチをして…ぶらぶらとお散歩がてら日本橋まで歩き、休憩で腰を下ろした川のそばのベンチで、ずっと喋っていました。


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この風景ほんとに落ち着くんです。


今の自宅近くの、緑に囲まれた利根川の風景も好きだけれど、やっぱり私は、身体と記憶に染み込んだこの川の匂いと、高速を走る車の音と、風景が一番好き。


「長男が結婚したら、今の茨城の家をあげて、私たちは夫婦で東京に戻ってこようかな」


その呟きは叶わないかもしれない夢だけど… きっと私は死ぬまで、この街にいつか戻りたいと思い続ける気がしています。


そこに帰る家がなくなったとしても。

 

 


今日はここまで。