あなたの懐に帰るその日まで
あんなにはっきりと夢に母が出てきたのは初めてだ。
場所は病院。
それは仕方がないことなのかな。私にとっての母は、物心ついたころには「病院にいる〝母〟という人」であったから。
夢の中の私は大人になっていた。
母は…どのくらいの時分の姿だったんだろう。
ショートカットで少し頬がふっくらしていたから、おそらく最初の大きな発作からしばらく経って、埼玉のリハビリ病院に移って元気になっていた頃の感じかな。そうだとすると…39で倒れた母だったから、夢の中に出てきた母は40くらいの時の姿。昔は母として見ていたから老けて見えたけど、今の私の目で見るととても若かった。そりゃそうだ、ひとまわりも年下の女性なのだ。
病室はナースステーションのすぐ脇で、扉もなくオープンな部屋。
私が訪れると母は眠っていた。
声をかけた。何て声をかけたのかは覚えていない。
すると、母はすぐにパッと目を開けて半身を起こして座った。素早い動き。まるで病気なんてしていないみたいな。
そして、ベッドの上をゴロゴロしながら満面の笑顔で私に言う
「最近どうしてるの?」
私は戸惑った。
「なんでこんなに元気なんだろうか?」
「こんなに元気な人だったか?」
「もう大丈夫だ。しばらく長生きできそうだ」
あまりに無邪気で嬉しそうな様子を見て、私も嬉しくなってきた。
母が出てきて覚えているのはそこまで。
後は…誰にだかわからないけれど、病院で母がとても元気だった様子を誰かにジェスチャーを交えて報告していた。
「こうやって寝ていたのに、急に起き上がって!ぐるっとベッドの上を転がってニコニコしててさ!、、、、、」
私は母の笑顔をあまり知らない。
闘病に入ったのが私が8歳になったばかりの頃だったから、元気だった頃の母の記憶はおぼろげで、今頭に浮かんでくる母の姿は麻痺した半身を引きずりながら歩行訓練している姿。顔も半分麻痺していたから表情も乏しかった。
その母が!
満面の笑顔で笑っていた。
その視界いっぱいの大きな母の笑顔を、今繰り返し繰り返し繰り返し思い返している。
いい笑顔だな。
なんだか、私に似ているな。
その若い女性は確かに母なのだけれど、私の知らない笑顔で、知らないテンションで、交わしたこともない言葉をかけられて…
何か言いたくて出てきたの?
何故そんな夢を見たのだろうか?
昨日クローゼットの私物を整理していて、18歳の時に書いた母へ宛てた手紙を見つけたからだろうか?対してそのことについてはあまり深く考えていなかったんだけどな。
夢占いを見てみると、どうやら吉兆らしい。
実際にいいことがあるかもなんて信じてはいないけど、あのビッグスマイルを思い出すとホンワカ心が暖かくなるのだから、それだけで充分良いことだよね。
お母さん
…いや、私は「お母さん」なんて呼んだことなかったな。
ママ
久しぶりに会えて嬉しかった。
ひとことだけだったけど普通の親子みたいな会話ができて嬉しかった。
大人同士になった母と娘の会話ってどんなだろうって、母と話がしたいなってずっと思っていたから。
ありがとう。
私はもうちょっと頑張って生きるから。
しばらくそちらで待っていてね。
あなたの娘が、わりと近い将来あなたの懐に帰るその日まで。
最近のこと
とても久しぶりの投稿。
書かなかった間の出来事を記録として残そうと思う。
まずは長男のこと。
一年間の浪人生活では国公立受験に必要な数学の学力をつけられないと判断した彼は、早々に私立一本に切り替え、私立トップの大学に合格した。
浪人生活後半は壮絶な日々だった。
一年間は、彼が、皆が思ったよりも短く、浪人というものは、彼にとってはとても精神的に苦しいものだった。センターが終わったあたりからは、苦痛から家で物にあたるようになり、食欲が減退し、眠れなくなった。
私は、彼が小学生だった頃のように一緒に眠った。とは言えもちろん一緒の布団とかじゃない。彼はリビングのソファに、私はその脇の畳の上に。
そして、「浪人なんかするんじゃなかった」と辛さに泣き出した夜は、一緒に泣きながら背中をさすり続けた。
彼が中学生になった時に、私たち家族は東京から田舎の夫の実家へ引っ越した。地元で保育園から一緒に育ってきた子どもたちの中で、彼はなかなか学校に馴染むことができなかった。
あの頃も毎晩泣いていた。
2人の弟に添い寝して寝ていたベッドに潜り込んできて、12歳だった彼は私の背中にしがみついて泣いた。
そんなことを思い出したり。
失敗して、どこにも行き場がなかったら…彼はどうなってしまうんだろうという不安、どんな結果も私は動揺を見せる事なく受け止めて彼を支えようという決意。
彼は乗り越えた。
そして、晴れやかに家を出ていった。
今は、大学の勉強と、吹奏楽のサークルと、塾の講師のバイトと、資格取得のための専門学校の勉強と、寝る間あるのか?という多忙な日々を送っている。でも、こっそり見ているサークルのTwitterの写真にたまに写っている彼は、とてもいい笑顔をしている。
親として、もうお金を用意するしかやることがないことが、たまらなく嬉しい。
今現在は次男の高校受験でまたやきもき。
長男とは違い、受験勉強することに意義を見出せない彼は、とにかく入れればどこでもいいという考え。行きたい高校ができて夏の終わり頃から家庭教師に来てもらっていたが、合格判定結果が悪かったことであっさり諦め、家庭教師も現在お休み中。
それよりもやりたいこと(バイクに乗る、バイトしてお金を貯めて卒業したら世界を旅する)で今から頭がいっぱいで、いろんなことを検索して勉強(?)している。学校の勉強は嫌いだが、知識と教養は欲しいのだとか。
言っても聞かないんだから、私ができることは彼についてもやはり見守ることだけだ。
三男は未だ可愛いだけの存在(笑)
やることなすことただ可愛い可愛いで、かなりウザがられている。
それと、義父が秋に肺炎で倒れて入院した。
1ヶ月強の入院で、めっきり弱って帰ってきた義父の介護が本格的に始まった。
要介護の申請と審査、ケアマネさんとのやりとり、ヘルパーさんとの交換日記のようなノート。
思い出す、父の遠距離介護。
最後の一年間を。
今日はデイサービス初日だった。
行きたくなくて、わざと落ち込む様子を私に見せたり、過剰に咳き込んだり、わがままを言ってみたり…すっかり忘れたと思っていた父の記憶が呼び覚まされたのか、今朝は私の身体が震えて仕方がなかった。パニック障害ってこんな感じ?
「子供が幼稚園に行きたくなくて朝駄々をこねたりするだろう?俺もそれと同じなんだよ」
幼稚園児と自分が同じ?85年も生きてきて幼稚園児と同じ? 体はきかなくなってゆくが、心まで同じだとは言って欲しくない。憤りと落胆を隠して、せっせと支度した。
文句を言いながらも出かけてくれてほっとしたが、今も頭が興奮状態で次から次へと嫌な記憶が蘇ってきてしんどい。
夫に会いたい。
夫の膝枕で眠りたい。
私が今一番落ち着ける場所は、夫の膝の上だ。
今日は疲れた。
今日は自分を労ってあげよう。
また気が向いたら書く。
バレンタインと長男の決断
半年くらい前から、更年期の症状なのか生理が重い。
若い頃から重い方で度々痛み止めを飲んでいたけれど、痛み方が前とは全然違う。以前のは腰や下腹部が重苦しくなる痛み。でも最近のは呼吸のリズムが狂うほど、子宮あたりが握りつぶされるんじゃないかって程に痛む。痛み止めもあまり効かず、大体毎月2日間は寝込むようになってしまった。
産婦人科で検査もしたけれど、子宮も卵巣も綺麗なもので、何も原因は見つからなかった。
量も半端なくて…まぁ2日間が終われば嘘みたいに楽になるんだけどね。
大体いつあたりにその日がくるか予想がつくので、前倒しで仕事を頑張ったりして、なんとか過ごしてます。
やーね。早く終わっちゃえばいいのにな。
2/14もちょうど寝込んでいたので、我が家の男性陣にバレンタインの贈り物ができませんでした。
「必ず近いうちに作るから待っててね!」って三男に言ったら、「ママの近いうちに…はいつになるかわからないからなぁ〜」と痛いとこをつかれちゃった(汗)
三男の予想通り(笑)すぐにオリンピックのフィギュアスケートを見ることに夢中になった私は、なかなか作らず一週間が経過…。
今日は久しぶりの平日休暇。
のんびりとフィギュアの女子ショートを見ながら焼きましたよ、マフィン♡
女子は緊張感なく見れるのです(男子はダメです。羽生オタなので一日中他のこと手がつけられなかったもの 汗)
我が家の男性陣は全部で5人。
5人×2個=10個
まぁまあの出来だわね。
ようやく約束が果たせたよ〜♫
さっそく受験が終わって家にいる長男にあげたら、秒速で食べた(笑)水分もとらずに一気食べ(笑)
そうそう、お父さん
長男といえば…
今年受けた大学は全て合格したでしょ。
3カ月しか勉強しなかったのに、こちらがびっくりするほどの良い大学にも受かることができた。
でも、彼は浪人することに決めたって。
この3カ月でここまで自分が伸びたことが自信になったんだね。1年浪人して、国公立を目指すそうだよ。今度は予備校にも通って、目標は高く、まずは東大目指すって。
親としてはさ、心配だよね。
短期集中だったから、ここまでできたんじゃないか、1年も集中がもつものなのか、経済的なこともあるし、誰かが病気になったり状況も悪くなるかもしれない…今年受かった第一志望の大学が素晴らしいところなだけに、大切なのは「どの大学に行くかより、そこで何を学ぶかじゃない?」と思ったりして、なかなか腹がくくれなかった。
だけど、全部彼の思うようにさせてあげることにしたんだよ。最後の選択は彼にさせないとね。後々、何かある度に振り返って後悔することにならないように…。
私立受験のために数学を捨てていたから、入塾試験のためにまずは数学を勉強するんだって。
受験が終わって、一週間はゲーム三昧だったけど、昨日からまた夫の書斎にこもって勉強を始めたよ。
凄いよね。
言葉だけじゃないから、ホント尊敬する。
車の免許も時間がもったいないから取らないんだってさ。まだ1年間、送り迎えの日々は続きます。
もう少し暖かくなったら、受験の合格祈願に行った鹿島神宮にお礼参りに行かなきゃな。
お父さんも
もう1年、彼の挑戦を見守ってね。
あ
マフィン、お父さんの分はないわ(笑)
今度、美味しいかりんとうを買って御線香あげに行くからさ、それで許して(笑)
もうすぐ春ですね
昨年春、実家を引き渡す前に、家の中のものを業者に入ってもらって処分した。
私たちの荷物はもうほとんどなかったから、大部分は父の荷物。
質素な一人暮らしだったから、荷物も少ないと思っていたけど、トラックに積んでみたら、軽くトラック一台分あった。
例えば…
私たちが引っ越す直前に壊れて新調したばかりだった洗濯機
ひとり暮らしになる際に買ったシングルベッド
同じくひとり暮らしになる際に、父が気に入って、でも値段が高くて悩んで悩んで…思い切って買ったチェスト
テレビ
アルバム
母の鏡台の鏡
父の趣味だったジグソーパズルの作品何点か
お雛様
残したものはそのくらいで、あとは全て持って行ってもらった。
実家のお雛様は、姉と私、ふたりのもので、7段飾りだった。
幼い頃はよく7段飾ったけれど、母が患ってからは、お内裏様とお雛様以外は、全く出さなくなって、長く天袋に放置されたままだった。
まさに40年ぶりくらいに天袋の中のものを開けてみたら、三人官女、五人囃子、右大臣左大臣、お嫁入り道具、牛車…全て揃っていたけれど、どれも傷みが激しく、処分するしかないね…ということに。
久しぶりに顔を見れて嬉しかったな。
もっと出してあげれば良かったな。
父や母、祖父母、幼い頃に亡くなった父の妹、曾祖父母…全員の位牌を姉の家に移動させるにあたり、仏壇を処分することになっていたので、その仏壇と一緒に、お内裏様とお雛様以外の人形たちは、供養して処分してもらった。
で、お内裏様とお雛様は、私が譲り受けた。
姉には女の子がいて(もう今年二十歳になる)、彼女の家には父が選んだお雛様がある。
私が授かったのは全員男子だったので…てな理由。
こちらに持ってきてからは、毎年出してます。
今日は雛あられをお供えしようと思っていたけど、体調を崩してしまい、買い物へ行かなかったので、また明日。
歳を重ねるごとに、愛おしさが増していきます。
穏やかなふたりのお顔を眺めていると、時間を忘れてしまいます。
着物から綿が覗いてしまっているのもご愛嬌。
誰かに手を加えてもらって綺麗にするつもりはありません。
私の生が終わったら、その時、処分してもらおうと思っています。
そうそう
お父さん
今日、長男が第一志望の大学合格したよ。
部活を引退してからの3カ月の努力は、本当に凄かった。
お父さんが聞いたら
「すげ〜な〜」
って笑いながら驚くような優秀な学校だよ。
だけど、その大学も行かないかもしれないって。
3カ月でここまで伸びたから、あと1年勉強したら、もっと上を目指せる!って言ってる。
良く考えて、君が出した結論なら応援するよって伝えたよ。
正直、経済的なことを考えると大変だけどさ…
夫が長男に「あの大学は就職が凄くいいらしいよ」とアドバイスしても「就職のために大学行くわけじゃないから」とキッパリ言ってたよ。
あの子は、いつの間にあんなにしっかりしたんだろう…
だから今は大変だなと思う気持ちよりも、頼もしいなと思う気持ちが強いかな。
誰に似たのかね?
有言実行なとこは、お父さんに似たのかな?
3年間部活が大変で大変で。
でも、その部活で全日本に出て…
その経験が、彼の自信になったのかもしれないね。
部活と受験と…
長いこと張り詰めていた糸が緩んで、しばらくは穏やかな心持ちで生活できるでしょう。
もうすぐ春
お父さん、もう実家を離れてうちに来てますか?
一緒に、菜の花でいっぱいになる土手を見ようね。
上書きされるもの、されないもの
一昨日、実家の隣に住んでいるママ友から連絡が来た。
いよいよ足場が組まれ始めたよって。
解体するところが見たかったのに、これじゃ見えなくなりそうって、残念がってた。
今回、彼女たち家族が住んでいた家も、我が家と一緒に壊されるわけなんだけど、彼女たちはこの写真のちょうど向かいに両親の土地があって、そこに二世帯住宅を建てて住んでいる。
住んでいた家が目の前でなくなる寂しさはあるんだろうけど、あの街を出てしまった私とは、またちょっと違う心境かなと思う。
もう、本当に帰る家がなくなってしまうんだな。
いや、一年前に手放したのだから、もう、とうに帰れなかったわけなんだけど…
それでも、空き家でも、他の誰かのものでも、あの家があそこにあるというだけで、支えられていたものがあった。
解体
見に行こうかと思っていたけど、やめた。
せっかく良くなってきたんだから、わざわざ傷つきに行くこともないよね。
グーグルアースであのあたりを見てみると、まだ実家がある。これは、いつまでこのままなんだろうか。いつまでも更新されてほしくないと思ってしまう。
今は仕事の忙しさにかこつけて、無理に現実を直視しないように…そうしていつか、長い時間がたったいつか、新しくなった風景を見に行けたらいいと思う。
それまでは、スマホの中のあの風景が変わることがないといいな。
いつの日か
長い時間の記憶は消えて
優しさを
僕らはただ抱きしめるのかと
(小沢健二 さよならなんて云えないよ)
長い時間の中で
上書きされていかない風景なんてない
私は未来のために自分で決めたことに自信を持って
上書きされることない記憶の中の風景を抱きしめながら
ただ、今を生きるのみ
my hometown(2015,6,5)
昨日の朝、空を見上げたら、まるで波打ち際のような雲が広がっていました。
慌ててスマホで撮影。
雲はすぐに形を変えてしまいますからね。
とても良い天気で…時間もあったので、思い立って2ヶ月ぶりに東京の実家へ行きました。
お彼岸の時に、家族で仏壇にお線香をあげに行って以来2ヶ月、1度も行ってなかったんです。
以前は、週に1度は仕事が遅い時に旦那さんが東京の実家に泊まってくれて、郵便物の整理なんかをしてくれていたんですけど…今年に入ってからは、どんなに仕事で遅くなっても、無理してでも家に帰ってくるようになって。
その理由は全部私なんですけどね。
父が亡くなったことをきっかけにして、私はたくさんのことを考えて、気づきがありました。旦那さんとの関係も、結婚以来…いえ、知り合ってからずっと心に溜めてきたものが決壊したことでいろいろあって…また後日書こうと思いますが、今は関係修復の途中で、とても微妙な時期なんですね。
そんなわけで旦那さんは、不安なのでしょうね、すっかり私から離れたがらなくなってしまって…終電までに電車に乗れさえすれば、必ず家に帰ってきます。
この春から私が学校に通い始めたことで、なかなか丸一日を東京に行く日に当てることができなくなったのも、間が空いた理由です。
そんなこんなで
2ヶ月も実家を放置するなんて今までなかったこと。
郵便受けがチラシで溢れかえってないだろうか。
虫やらネズミやらが我が物顔で走り回っていないだろうか。
最悪、変な奴が住み着いてたらどうしよう
変な奴が住み着いてたら…って、大げさかもしれないけど…実際、日本と韓国にそれぞれ自宅がある韓国人の友達が、2ヶ月ぶりに韓国に戻ったとき、自宅が悪い奴らのアジトにされていたという話を聞いたことがあって。
まぁ、うちの自宅は東京の下町なので、家も密集してて、隣近所の付き合いも密なので、異変があればすぐわかるだろうから、アジトになることはないだろうけど…
やっぱり、近所に管理されていない空き家があるって心配ですよね。漏電とか、放火とか。
だから、明らかにしばらく人が立ち寄っていない空き家だと思われないように、たまったチラシや郵便物だけはこまめに片付けに行かなきゃいけないんですよねぇ。
そして、やっと昨日。
鍵を開けてドアを開けると、2カ月間動きがなかった、ひんやりと重苦しい空気に押し返されるような気がしました。
なんか、家が怒ってる?
父が寂しさからヘソを曲げて、ふて寝をして部屋から出てこなかった日の、あの空気に似ていて…ビビりながら、誰もいないけれど「ただいま」と声に出して言ってみた。
電気をつけて、まず最初にすることは、仏壇にお線香をあげること。
そのお線香は、「花は咲く」のお線香。震災支援プロジェクトのひとつとしてYUZUがその曲をバックに滑ったのは、テレビで見た方もいると思いますが…このお線香もプロジェクトのひとつで、売り上げの一部が被災地へ義援金として送られることを聞き、購入しました。
とってもいい香りなんで気にいってるんですけど…なかなか行けないので、お線香も1年も経ってるのに全然減らないの
手を合わせて
そしてあらためて、祖父母と父と母…四つ並んだ遺影に「ただいま」
父の遺影は、私の姉の長男がお宮参りの時に写真館で撮ったもので…なんとも優しい表情で笑っているんですよ。
その笑顔を見ていると…父と私たちの間にあった出来事が、この家で起こった出来事が、なんだか嘘みたいに思えるほど。
「よく来たな」なんて優しい言葉を言ってるとこなんて、言ってもらった経験がないから想像すらできないけど…長い時間放置されてふてくされながらも、喜んでいるような、そんな顔に見えました。
そして、家中の窓を開けて、空気の入れ替え。
お線香の火が燃えている間、簡単に掃除機をかけました。
一応全部の部屋に掃除機をかけたいんですけど… 1つの部屋だけどうしても入れない部屋があります。
それは父の部屋です。
一緒に住んでいた頃、父が寝起きして、趣味のジグソーパズルや、音楽を聴いたりしていた部屋。
そして父が自殺を図った部屋。
あれから1年10カ月がたつのに…家族がいる時は平気なんですけど、1人の時はその部屋には入ることができません。思い出してしまって怖いんです。
以前、スピリチュアルのカウンセラーさんから「お父さんはまだご自宅にいらっしゃいますよ」と聞いたことがあったんですけど…その時、カウンセラーさんは、父を成仏させてくれましたが…なんだか私には、まだ父があの部屋にいる気がして仕方がないんです。
だから、父の部屋の掃除は、今度家族が一緒の時にやることにして…昨日は部屋に入りませんでした。
父がどうしても離れたがらなかった家。
絶対に手放したくないと言っていた家。
いつまで空き家のままで、たまに私が空気を入れ替えに行くんだろうか。
もうこの世にいない人の思いのために…
父が自殺未遂をして亡くなった頃は、私たちは町内で噂になっていて…どの人に会って話をしても、ただ憐れんでいるだけじゃない空気を感じて、「もうこの街にはいられないかもしれない」と思っていました。
急によそよそしくなった人もいたり。
でもそれも、町内から外に噂が流れることはなく…一番心配していた、子どもたちの同級生には知られることがなかったので、胸を撫で下ろしました。
子どもたちの故郷がなくならなくてよかった…
子供たちにも東京の友達がたくさんいたから…たまに子供たちを連れて泊まりがけで帰って、友達と遊ぶ…そんな場所を残しておける!って喜んでいたんですけどね。
子供たちが大きくなるのは早いです。
長男は、もう東京の友達とはほとんど連絡を取っていないようで…次男も、東京の友達に久しぶりに会いたいかと聞いても、もうそうでもないようで…三男は、東京でのことはかすかにしか覚えていない。
そうやって誰も行かなくなったら…あの家を空き家のまま、近所に物騒な思いをさせながら残しておく理由がないんですね。
仮に長男が結婚して住むとしても、まだ10年以上先の話です。
済むかどうかもわからない家を、10年以上も空き家のままになんかしておけません。他人に貸せるほど綺麗ではないし。
だから…
私の気持ちさえ決まったら、いつかは売ることになるのでしょう。
私の気持ち…いつかは決めないといけませんね。
今は、全く使っていない実家の固定電話を解約することすらできないんですよ。生まれた時からずっと慣れ親しんできた電話番号すら手放すことができない私に、あの家を手放すことを決断できる日が来るのかどうか…
そうやって考えると、「もうこの世にいない人の思い」だけとか言いましたが、それだけじゃないですね。
今では、あの家から離れたくない、手放したくないと一番思っているのは、私なんだから。
まだあの街に帰る家がなくなることが想像つかない…いや、できることなら、晩年を東京で過ごしたいなんて、まだどっかで考えているのだから…売らなければならないとしても、決断にはかなりの時間が必要です。
楽しいこと嬉しいことよりも、悲しいこと辛いことのほうが多かった、あの家だけど…それでも掛け替えのない私の故郷ですからね。
昨日は、ほんとに久しぶりに私の友達に会ってランチをして…ぶらぶらとお散歩がてら日本橋まで歩き、休憩で腰を下ろした川のそばのベンチで、ずっと喋っていました。
この風景ほんとに落ち着くんです。
今の自宅近くの、緑に囲まれた利根川の風景も好きだけれど、やっぱり私は、身体と記憶に染み込んだこの川の匂いと、高速を走る車の音と、風景が一番好き。
「長男が結婚したら、今の茨城の家をあげて、私たちは夫婦で東京に戻ってこようかな」
その呟きは叶わないかもしれない夢だけど… きっと私は死ぬまで、この街にいつか戻りたいと思い続ける気がしています。
そこに帰る家がなくなったとしても。
今日はここまで。
青い空の彼方へ、父を見送った日(2015,4,28)
今日は私が初めて受けたカウンセリングについて。
私は今年の1月に、初めてカウンセリングというものを申し込んで、受けました。
カウンセリングっていっても、いろいろあって…どんなところに行こうかってまずは悩みました。
…こう書くと軽い気持ちで探してたみたいですけど、実際は、食事も食べられなくなり始めていて、動悸も、目眩もひどく、毎日横になりながら家事をこなしていた状態で…かなり切羽詰まってたので、必死でした。
とにかく薬を処方されるのは嫌だったので、病院と言う選択肢はなし。
そこで、カウンセリングルームを探していたら…とても自宅から近い住所で見つけたのが、スピリチュアル系のカウンセリングルームでした。
スピリチュアル…
なんか、何もわからないと、怪しい感じですよね(笑)
すぐには信用できない感じ、しますよね(笑)
もともとスピリチュアル系は嫌いではないんです。いや、どちらかというと、好きな方です。昔テレビでやっていた美輪明宏と江原啓之の「オーラの泉」なんて、嬉々として欠かさず見ていましたから
霊感は全くないんですけどね。
心霊関係の怖い話やテレビ番組は、夜中に怖くなってしまうので、聞けません見れません
でも、この世のものでないものが、どこかに存在していることを感じさせるような…不思議な経験はいくつかあります。
最近では…義理の母がガンで亡くなる前、意識が完全になくなってから不思議なことが何度か起こりました。
それは…お義母さんの容態が急変する直前に必ず、私の三男が泣き出したんです。
1度目は…最後にお義母さんが自宅で意識を失う直前の明け方。
2度目は…お母さんの容体が急変して亡くなることになる、その日の明け方。
そして、3度目は…お義母さんが息を引き取った時。
明け方の2回の時は、布団で静かに寝ていたのに突然泣き叫んで、しばらく泣きやまなかったんですね。普段、夜泣きなんてほとんどしない子なのに。どうしたのかな?と思っていると、お義母さんの急変を告げる連絡が入る…ということが続いて。
お義母さんが息を引き取った時は、車で病院へ駆けつける途中だったのですが、チャイルドシートでグッスリ寝ていたのに、突然泣き叫んだんです。びっくりして、もしやと思って、すぐに時計を見て時間を覚えました。
病院についたらお義母さんは既に亡くなっていて…亡くなった時刻を確認したら、本当にぴったり三男が泣き叫んだ時刻でした。
三男が生まれたことを、一番喜んでくれていたのはお義母さんでした。誰よりも可愛がってくれて…だから、お義母さんは何かにつけて、三男に会いに…知らせに来てくれたのかなと思っています。
他にもですね、若い頃の私を、母が守っていてくれるような出来事がいくつかあったんですよ。長くなるので割愛しますが。
普段からわりと、そんな存在を感じたり(見たり聞いたりしたことはないけれども)、信じたりしている方です。
と、いうわけで、自宅から行きやすかったことと、一度、スピリチュアル系の方に見てもらいたかったという興味と…やっぱり、私の悩みは亡くなった父のことだったので、何かがわかるかもしれないという期待もあって、その方のカウンセリングルームを訪れてみることにしました。
そのカウンセラーさんのブログを見て、カウンセリングの様子、相談された方のお礼のコメント等を読んで、「いいな」と思ったことも私の背中を押してくれました。
初めてのカウンセリングは、1月中旬。
普通のお宅の庭の片隅に、素敵な離れが建っていて、その中の落ちついた雰囲気の部屋の中で、一対一のカウンセリングが始まりました。
最初は、どれだけそのカウンセラーさんが信じられる人なのかを確かめたくて、ほとんど自分のことは話さずに、見てもらいました。ただ、父のことで悩んでいるということだけお話して。
その人の手法は、相談者の潜在意識と対話して、刻み込まれた良くないイメージを、新しいイメージに入れ替えていく…というもの。
つまり、相談者の悩んでいること、それには大抵相手がいますよね。潜在意識レベルでその相手に対して抱いているイメージを、良いものに入れ替えてあげることによって、徐々に関係を改善させていく…という感じのものでした。
そして、カウンセラーさんは、相談者の潜在意識だけではなく、その相手の潜在意識とも会話ができるので、その相手の本心なども聞きだしてくれます。
わかります?
説明下手だなぁ、私
実際に私が受けたカウンセリングで説明してみますが…カウンセリングを受け始めてすぐ、半信半疑だった私は本当にびっくりさせられてしまったんです…。
その方が見たところによると、私の潜在意識レベルでの父のイメージは「なまはげ」のような姿のものでした。そんな父を、私は怯えながら見ていると。
もう、すぐにドキーッとしました。
「なまはげ」といえば、刃物を持った鬼のような姿をしていますよね。
刃物…父が怒って暴れると、幼かった私は家中の刃物を隠した…と前に書いたことがありましたが…父の自殺未遂の方法も、刃物を使ったものでした。
あの日、現場には家中の刃物という刃物が集められていて…後でその現場を片付けながら、私は「きっといつか、私は父に刃物で殺される」と思ったんです。とても恐ろしかった。
だから…「なまはげ」と聞いただけで涙が出てしまいました。
そこで、自殺未遂のことは伏せて、実は父は亡くなっているのだということだけを話すと、カウンセラーさんは父の潜在意識と会話を始めました。
すると…「ただ寂しかったんだ」と父は言っていると。まだ成仏できないで自宅にいると…。「お父さん、ご自宅が大好きじゃありませんでしたか?まだ離れたくないと言ってご自宅にいらっしゃいますよ」
それを聞いたらもう号泣してしまって。
父は家が大好きだったんです。家だけじゃないですね、住んでいた東京のあの町も大好きで…私たち一家が引っ越した後は、姉の家に入るという約束になっていたのですが、「絶対にこの家を離れない」と譲らなかったんです。
一緒に住もうと言われていたのに、それを自分から断って…遠方から代わる代わる通っていた娘たちのこと、世話をするのが当たり前…全然足りないと我儘言って、試すように嘘ついて…最終的には、娘に捨てられた俺は、天涯孤独だと言って自殺未遂までして…。
どうして、あの家にそんなにこだわったんだろう。親から受け継いだ土地を長男である自分が手放せないと思ったからか…でも、孫だってたくさんいるんだし、孫の誰かにあの土地を譲ることだってできるんだから、手放すことなんかないわけで…
きっと、自分の祖父母と、両親と、妻と、幼くして亡くなった兄弟と…たくさんの遺影を、自分の命がある限りは、あの家で守りたかったのかなと、今は思っています。
「ただ寂しかったんだ」
そんな、いろんな胸の内を素直に話し合える親子だったなら、あんな悲しい結末は迎えなかったのに…まあね、考えてもどうしようもないけれど…。
カウンセラーさんは、父に、もう成仏するようにと説得してくれて…父は、しぶしぶ納得したようでした。
「たまには遊びに来てもいいかな?」
最後にそんな言葉を残して…自宅から消えていったそうです。
次に、カウンセラーさんは、私の中の「なまはげ」のイメージを、新しいものに入れ替えてくれました。
そのイメージは…
青い空に、にっこりと笑う父の笑顔が浮かんでいる。私は、「さようなら」と手を振って、父を見送っている…というものでした。
そのイメージを聞いた時、心から清々しい気持ちになりました。
過去記事の「青い空の彼方へ」は、そのカウンセリングを終えてすぐに書いたものです。
父への恨みと、罪悪感…その板挟みが、その時まで、私が一番苦しんでいたことでした。
あの人を父としてではなく、一人の人間として見ると、なんて哀れで可哀想な人だと…その悲しみを想像して、身を切られるほど辛かったから。
だから、アダルトチルドレンかもしれないことを認めることができなかったんです。
でも、あの日、本当の意味で父の死を受け入れることができて、清々しい気持ちで父を空へ見送ってあげることができたから…父への哀れみの気持ちに区切りをつけて、もう一方の恨みの気持ちと向き合って、自分を癒してあげようと思えるようになったのだと思います。
1番最初にあのカウンセリングを受けて、本当によかった。
あのカウンセリングルームを見つけたとき、まるで、導かれているようだと感じたんですけど…本当にそうだったんだなと思います。
そうそう
そのカウンセラーさんのことを「これは、本物だ!」と確信したことが他にもふたつありました。
ひとつ目は、「お父様がね、なんか、階段?に飾ってある絵?みたいなものの位置が、高すぎるって文句言ってますよ(笑)」と言われたこと。
またまた、ドキーッとしました。
ありますあります!父が生前コツコツと作っていた大きなジグソーパズルを、階段の壁に飾ってあります!…凄く高い位置に(笑)
あまりに高い場所なので、みんなの目に入らないことが不満らしかったです(笑)それをもう少し下げろ、毎日見ろと(笑)
なんだか、とても父らしくて笑ってしまいました。
でもね…とても大きいジグソーパズルで重いので、大工さんに頼んでしっかり壁に打ち付けてあるんですよ。だから、毎日しっかり意識してパズルを見上げて話しかけるから…移動させることは勘弁してもらいました
そして、ふたつ目は、私の将来やりたいことについて話が及んだとき…
「あなたは人を癒す仕事がしたいんじゃない?マッサージみたいな事をしている姿が見えるわよ」と、言われたこと。
ただただ、びっくりしました!
まさにその時やりたいと思っていて、今現在私が勉強していること…それはストレッチを用いたストレスケアなんですから!
「大丈夫、その道をしっかりと歩んでいるあなたの姿が見えますよ」と言ってもらって、とっても力が湧いたんです。
そんな話が出たので、信じるなという方が無理というものですよね(笑)
また何かあったら、あの方のところへ相談に伺いたいなと思っています。すごく高いので、ホントにホントに困った時しか行けないですけどね
すごーく眠い中、だらだらと長く書いてしまいましたが伝わりましたかね?
今日はここまで。